歌やダンスはもちろん、軽快なトークで人気を集めている今注目の関西ジャニーズ。
関西ジャニーズはいつからあるのか、いつできたのか、関ジュの歴史について気になっている方は多いのではないでしょうか。
今回は関ジュがいつからあるのか、関西ジャニーズジュニアはいつできたのか、Jr.の黄金期と呼ばれた時代はいつなのか、関西ジャニーズの過去について調べたのでご紹介します。
関西ジャニーズはいつからできた?
関西ジャニーズといえば、「関ジャニ∞」
彼らが関西ジャニーズの走りだと言っていいでしょう。
関西出身ジャニーズといえば、KinKi Kidsの2人ですが、KinKi Kidsは入所後すぐに東京に上京しています。
関ジャニ∞のメンバーがオーディションを受けた頃はまだ関西ジャニーズJr.ができて間もない頃でした。
彼らより先に入った先輩に当たる方もいますが、早い段階で辞めてしまった方が多く、結果初期に入所した、関西ジャニーズJr.の生き残りが、今の関ジャニ∞になっている状態です。
関西ジャニーズJr.はいつから?
関西ジャニーズJr.は、1993年3月13日、14日のオーディションで合格した方々が第一期生になります。
その頃はまだ「関西ジャニーズJr.」とは称されていませんが、1994年8月入所の方から「関西ジャニーズJr.」という名称がつけられたそうです。
関西ジャニーズ出身のグループといえば、現在なにわ男子の人気が高く注目を浴びていますが、今後の活躍に注目の「関西ジャニーズ出身のグループについて」の記事も参考にしてください。
関西ジャニーズjrの黄金期といえば?
関西ジャニーズJr.の黄金期といえば、2012年〜2014年代に下記グループが活躍してた時代です。
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- B.A.D
- BOYR
- 7WEST
- Veteran
- KinKan
- なにわ皇子
なかでも、7WERT、KinKan、なにわ皇子の人気は高く、関西ジャニーズJr.黄金期を引っ張る主要グループでした。
この時代は、松竹座や、城ホコンサート、西日本ツアー、全国ツアーも関ジュでやるほど活気付いていた時代です。
本人達のデビューを目指す勢いも、ファンの方の応援する一体感も、今とは比べ物にならないほどすごかったそうです!
メンバーとファンの一体感溢れるライブ、とても楽しそうですよね!
関西ジャニーズJr.黄金期のライブ、一度経験してみたかったです。
関西ジャニーズジュニアの焼野原期とは?
様々な場で活躍を広げていた関西ジャニーズJr.ですが、2015年代は「焼野原期」と呼ばれました。
その頃関西ジャニーズJr.の中心にいた、今のジャニーズWESTのデビューが決まり、現在King & Princeメンバーである、平野紫耀・永瀬廉が東京へ拠点をうつす、人気メンバー金田柊真の脱退が立て続けにありました。
しょうれんの東京、柊真の脱退により当時絶大な人気を誇っていた「なにきん」は自然消滅する事になり、中心グループを失った関西ジャニーズJr.は焼野原期と呼ばれました。
その頃は、メディアへの露出もほぼなく、事務所にも押されない「闇期」だったとも言われています。
そんな「闇期」を中心となり支え現状まで回復させたのが、室龍太、SnowMan向井康二、なにわ男子西畑大吾、大西流星でした。
彼らは「焼け野原に咲いた4つの綺麗な花」も表されています。
この4人のおかげで、今の関西ジャニーズJr.があると言っても過言ではないのですね!
関西ジャニーズはいつからできた?関ジュの黄金期と焼野原も調査! まとめ
今回は、関西ジャニーズはいつからできたのか?黄金期と焼野原期についてもまとめてご紹介しました。
調べてみると、関西ジャニーズには色々な歴史があり、苦労してきた関ジュのメンバーもいる事が分かりました。
焼野原期、闇期と呼ばれる時代を経験してきたことが分かって、関西ジャニーズJr.を応援する気持ちが更に湧いてきました。
今後も関西ジャニーズJr.の活躍を願いつつ、応援していきたいと思います!